若い頃の勘違いなので、クリスチャンの方には、大きな心で赦しながら読んでいただきたい。
ずいぶん前に読んだ本なので、記憶も定かではないのだが、
「”癒し”はイエスの神性を表す技だった。
イエスは旅先で出会う多くの人々の体の不調を救った。」
という一文があった。 これを読んだ私は、
「おっと。自分も神に近いのでは!!。
そうだ誕生日は10月 4日(天使の日)だし。偶然じゃないぞ!」
などと、今考えれば恥ずかしい発想をいだいた。
文章は続き
「しかしイエスは実際に痛みを消し去ったわけでも、失明した
人の目を見えるようにしたのでもないかもしれない。
イエスは痛みに怯える心を癒し、不平不満や比較をなくし、
目では見えなくても心の目を開かせたのではないだろうか。」
この後半の文章の意味が最近になってよくわかる。
わかると言うよりも、治療の核心を突いている言葉に思える。
変形しているから必ず痛いわけではない。
老化だからもう治らないわけではない。
この二つは、現場の経験から痛いほど身についている。
治療して、ちょっと考え方と行動を変えれば、多くは改善できる。
毎日患者さんの口から、
「あきらめなくて良かった」と言ってもらっている。
ストレス。心が不健康になっている方が本当に多い。
治療家には、技術だけじゃなくやさしさや思いやりが求められている。
選択理論心理学で心を、今まで20年間積み重ねた技術で身体を癒す。
私自身が不安だったり、イライラしていては決して他人をサポート
できない。
その為にも、自分自身が幸せでなければいけない。
この1週間はとにかく幸せで、たくさんの出会いでワクワクしどおしだった。
私の人生に迷いはない。 悩みはあるけど、迷いはない。
これからも多くを学んで、人間的に成長していきたいと思う。
遠藤周作さんの文章から
- 早稲田大学 スポーツ科学部 スポーツ医科学科
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