昨日は千葉医大で解剖実習でした。
玄関の前で写してみたのですが、もう少し良い顔ができたのではないかな~?と、思ったりしています。
解剖中は千葉医大の先生がいろいろ説明してくれます。
説明ではなく、手を動かしている最中にボソっ ボソっと言う一言一言が面白くて、
一言も聞き逃すまいと必至です。
膝の半月板損傷を見ながら、運動のしなさ過ぎや運動し過ぎについて説明くださって、
どんな運動が適切かを考えさせてくれていました。
今回の一番印象になった、「ボソッと本質」は、
「患者を脱落させたら負けだからね~」
ある種の運動が良いとわかっていても「自分には無理」というように脱落させたら、
どんなに医療が進歩してもその人を救えないということだと思います。
ここで大切なのは、諦めて脱落した患者さんが負けたんじゃなくて、
脱落させた医療者が負けだと、”強く”認識することではないかと。
高すぎる理想や、高すぎる治療目標を提示するのではなく、
難易度が低くて、なおかつ何かを変える身近な一歩を、もっとわかりやすく提案しなければと、
また勉強に励みます。
早速先生の著書も購入してきました。
う~ん、勉強になりました、ありがとうございます。
そういうところがシマザキ先生のいいとこですよね!
写真も面白いです、リスペクトです。
色々な考えの人がいるのだから、いろいろな患者さんがいます。
私のところでも、よこぴー先生のところでも、
救いを求めて来てくださる患者さんもいれば、
院試し腕試しに来ている患者さんもいますでしょ。
その人にとって納得できる治療を探している最中の場合、自分のところに留めることはナンセンスです。
他の治療院を試しに行ってもらうべきなんです。
でも、千葉医大の附属病院ともなれば、
他に行くところがない患者さんが、最後の救いを求めて集まってくるわけですから、
そこでの脱落者にはもう後が無いですよね。
だから本当にボソッとつぶやいた一言でも、
言葉の重みと込められた責任感が違うんです。
でも、ある人にとっては大学病院の後の、本当に他に行くところがない最後の治療院の場合があります。
そんな時こそ、日頃から学んできたことが意味を持ちます。
必要なときに、必要な能力が発揮できるように。
そして必要とされる人間になれるように。
学ぶことはたくさんありますね。
はじめてコメントさせていただきます(*^_^*)
脱落させたほうが負け・・・私もいつもそう思っています。「オレはどうせできない。」「私バカだから」と言う子ども達がとても多くて,心を痛めています。しかし,そう言わせているのは,大人であることが多いのです。初めから自信がない子はいない。大人が脱落させてしまっている気がします。
いつも,今私ができることは何か・・・と考えます。その答えはやはり,学ぶことに行きつくのです。無知は罪と20代のころから自分に言い聞かせてきました。
先生のコメントを拝見し,分野は違っても,学び向上することで,少しは自分も人の役に立てるのではないかと思いました。
また明日からが楽しみになりました。のんびり,でもさぼらず,自分のことが好き!という子ども達を育てていきます。
sakurasaku様 コメントありがとうございます。
sakurasaku様こそスーパーティーチャーですね。
「自分のことが好き」と言えない子供さんて、家庭での接し方の問題だと思ったりしますが、先生がそうやって親の至らないところをフォローしてくださっているのですね。
子をもって初めてわかる親の恩、と言いますが、
子をもって初めてわかった恩師の本当の恩情を、私も自分の子供たちの担任の先生から気付かされました。
ちょうど今日の患者さんで、特別支援学校の先生をなさっている女性の方から伺った話ですが、
頭突きをしまくる子供に鼻を陥没させられたり、大変な思いをなさっているのですが、
その子供たちも必ず理解してくれて、次にこうなってそれからこうなって、やがてこんなふうに成長してくれる! という姿が見えてくると、もう楽しくて仕方がないとおっしゃっていました。
人は必ず変われる。 もっともっと良くなれる。
そう信じて現場で活躍なさっている皆様をサポートするべき私たち治療業界。
もっともっと前向きで勉強熱心でなければならないですね。
つかんだロープを私は放さない!
でも気持はあっても力(技術や知識)がない。
言葉に責任を持てるように、やっぱり私も学びます。
ちなみに僕は、自分のこと、まあまあ好きです。
今回の写真も、モニターを見ながら
千葉大学 医学部 の文字がフレームに収まって、
「今だ、シャッターチャンス!」
と思った瞬間の顔のまま写っています。
そんな自分がかわいいな~と思ったりして 笑